■皆さまからのお言葉 COMMENT


映画『プールサイドマン』をご鑑賞くださいました皆様から沢山のご感想やご批評、メッセージが発信されています。この場所でまとめさせていただきますので、ぜひご覧ください。

 

映画の内容に触れたものもありますので、

映画を未見の方はご了承の上、お読みください。


新宿武蔵野館にて観賞。

 

今の日本人の姿をむき出しにする恐ろしいほど野心的な一作だった。

誰も触れない(触れたくない)テーマに真正面から首を突っ込んでるし、この映画はある意味では日本のインディペンデント映画の極北と呼べる映画なのかもしれない。

誰になんと言われようが言いたいことは言うし、やらなければならないことはやるのだ、という創り手の強い決意を感じる映画。

 

前半は徹底的な日常描写。

 

観てるこちらが嫌になるほど執拗に主人公のプール監視員、水原の何も起きない日常を描写する。

退屈な仕事、戦争やテロを伝えるニュース、同僚の取るに足らないおしゃべり、仕事帰りはアクション映画(戦争映画?)をみて、ファーストフードを食べて、家では暗い部屋で寝るまで一人でネット。

異様に不気味な主人公の水原は最初から最後までセリフを一言も言葉を喋らないのだが、途中から監督の渡辺紘文が水原の同僚、白崎として登場、映画の方向性が突然ガラリと一変し、今度は渡辺演じる白崎が、現代の日本社会を徹底的にこき下ろし、水原相手に世の中に対する不満を愚痴りまくる。

この愚痴がそこまで言っていいのか、というほどにブラックなユーモアを多分に含んでいるのだが、その愚痴や不満を一つも聞いてない水原と白崎のコミュニケーションになっていないコミュニケーションには相当笑った。

特にドラゴンボール世代とワンピース世代に関する白崎のあまりにも下らないバカバカしい持論は必見。

後半からラストにかけて主人公の水原が思いがけないある行動に出るのだが、その部分の解釈は人それぞれに異なってくるだろう。

 

ジャンル分けもできないし、評価も解釈も難しい映画ではあるが、ここまで挑戦的で刺激的な映画らしい日本映画に出会ったのは久しぶり。

不穏な空気を持続させるモノクロの撮影も音楽も素晴らしかった。

この映画は役者も起用していないし(主人公を演じた今村樂がチェロ奏者だという)、演出も作風も独特なので商業性という意味では高い作品とは呼べないが、今後も大田原愚豚舎の映画には注目していきたいと思う。


またしてもダラダラ映画感想文の続き。

『プールサイドマン』

東京国際映画祭の記事では以下のように紹介されています。

 * * *

単調な日々を送るプール監視員が、欠員が出た隣町のプールに出向いたことで味わう不条理を追う。

プール監視員の経験がある渡辺監督は、「多面的なテーマを盛り込んだので、無限の解釈をしてほしい。

ただ大きなテーマのひとつは、テロリズム、暴力、殺りくの時代に生きている日本人を追究しようということ。叩かれるのは覚悟の上で、かなり強い決意で作った」と全作を通じて一貫している映像表現を強調した。

 * * *

難しい話はよく分からないけど、世界中が脅かされているテロリズムの脅威、テロに限らず自分の行動が他者をどれだけ苦しめるか想像できなくなっているのが今の世の中なんじゃないかな。

いつ暴力に巻き込まれるか分からない世界に生きていて、よく「時代性」がどうのという論調も聞くけれど、「時代性」というのはこの地球上に生きている私たち一人一人が、様々な国や環境のもとでつくっているものなので、「時代」などという曖昧なものに責任転嫁するべきではないとも思ったりもしている。

自らの殻に閉じこもる事で他者への関心を持とうとしない無関心の延長線上にある他者排除の風潮があって、世界と日本の行く末への不安、不満、焦燥感に満ちている。

自分の不安と不満、それを周りの“何か”に責任転嫁していないか、日常生活を振り返って、自分自身にも問いかけるキッカケとなる作品だと思った。

特に私が衝撃を受けたのは、欠員補助で主人公の水原と一緒に隣町のプールに共に赴く事になった同僚・白崎の台詞「人間は迷惑な存在」という考え方。

迷惑な人というのは確かに存在する。でも、人間そのものが迷惑な存在というのなら、いったいそれを言う人って何なの?と思ったのだ。

「自分も迷惑な存在」だと思っているのか?それとも、自分にとって他者が迷惑(邪魔)な存在だと思うから、そのような考え方になっているのか。

白崎の発言は、ことごとく他人をけなすことに終始している。

最初の内は真面目に物事を考える人なのかと思って台詞を聴いていたが、その内に“考え方の違い”というものを超えた不快感や不条理な感情がこみ上げてくる。他人をディスる割に、聞きたいとも思えない話を狭い車内でデカイ声で延々と喋りまくるこの男は何なのか、と。

「嫌われ者」という設定もうなずける。

(ドラゴンボールとONE PIECEの対比の理論にも驚いた。良いとか悪いとかでは無く。)

その一方、私にもそういう部分がないとは言えないな〜、と自分の日頃の言動や考え方を振り返ってみる。

自分が「正しい」と思う主張は他人にとってどうなのか。言動や言葉に使い方ひとつで他人を不快にさせていないか。

暴力に限らず、人との接し方や考え方の違い、周りの態度への不満…揚げたらキリがない。

その中で、他人との差異を受け入れ、人に対する理解と思いやりの気持ちをまず持ってから相手に対することができているか…うぅ、胸がムズムズしてきた、ヤバい。

自己反芻も碌にしないでイヤな事、不快な事を周りのせいにしていないか…。

「他人の振り見て我が振り直せ」。日本に古来から伝わる格言に無駄な事は何一つないんだね。

短気な私はつい不快な感情を言動に出してしまってから反省する。その繰り返しで、自分がイヤになることがしょっちゅうなのでますますモヤモヤする。

人によって考え方や行動が異なるのは当たり前だが、違いを認められず、自己主張ばかりしている世相が、日常の対立感情や憎悪、ひいては暴力や戦争を引き起こすんじゃないのか。

周りを批判する前にまず自分のエゴイズムを乗り越えようとするべきだと思う。

テロリズムも、その原因となったこれまでの様々な歴史上の事件や軋轢など、その根本は他者を尊重出来ない「人の心」や「自己優先ばかりの主張」で、他人や他国に心を寄せることが出来ていないことでないのか。

世の中をどうこう言う前に、まず自分が身近なところで誤解や憎悪を生み出さないよう努力しなくては。

「誤解」ではなく「理解」を、「憎悪」ではなく「愛情」をもって接することの出来る人間になりたい。

すぐに出来なくても、そうするよう心がけるだけでも心の閉塞感は払っていけるはず。

そしてそういう人が増えれば増えるだけ、混沌とした世界を変えていけるだろう。

こんな事をじっくり考えさせてくれる映画はなかなか無い。

よく作ったなぁ…。大田原愚豚舎は凄い。

☆余談だけど、この映画に出てくるプールは開放感があってなかなか素敵。

さて、4作品連続 東京国際映画祭出品の快挙を成した大田原愚豚舎の最新作『地球はお祭り騒ぎ』はどんな映画なのか?

タイトルからして素敵すぎて、期待感は膨らむ一方の今日この頃☆

横浜のミニシアターに大田原愚豚舎の特集上映をリクエストしているのだが、東京から近くて進取の気質に富むなどと言われる割にコンサバな横浜では、このような実験的でアヴァンギャルドなインディペンデント映画は、なかなか上映してくれないんだよね〜。

今年も4作品連続で東京国際映画祭に出品という快挙を成し遂げたので、また懲りずにリクエストするつもり!


プールサイドマン

 

北関東郊外の小さな町

屋内温水プールの監視員 水原(今村樂)は、人と関わることを極力避け 同じ繰り返しの毎日を生きていた。

そんなある日、嫌われ者の同僚 白崎(渡辺紘文)と共に 病欠が出た隣町のプールへ応援に駆り出される。

それぞれに異なる心の在り方を 実はそんなに大差ないかもしれない心の在り方を

無関心であっても生きていけてしまう社会の矛盾を描いた作品だ。

 

スゴイ映画に出逢った。

あんなにも言葉を発することのない主人公だというのに、驚く程までに心を刺激された。

 

冒頭、その始まりはまるでデレク・シアンフランス監督「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」のルークを彷彿とさせる。

バタフライナイフをカシャカシャと振りかざすように、コインロッカーを素早く開閉させていく。

控え室からバイクショー会場まで歩いていくかのように、プールサイドから機械室へと歩いていく。

 

舞台は海外の遊園地ではなく 田舎の水泳施設であったが、その姿はプロフェッショナルそのものであった。

 

序盤、カメラワークのせいか 観客は水原と同じプール監視員になったような感覚に陥るかもしれない。

 

水原に仕事のいろはを教えられ、彼の後ろに付いて歩いているかのような

喫煙所でバッタリ遭遇するも、会話が生まれず気まずい空気になったような

帰ろうとしたら、駐車場の車内でタバコを吸う水原の姿を目撃してしまったような

 

まるで自らがそこに居合わせているかのような感覚になり、あっという間に作品世界へと引きずりこまれた。

 

描かれる水原の日常

家族も友人もおらず、仕事 映画 マックへ行くのみの生活

 

同じ繰り返し 孤独な毎日 可哀想な人間

多くの人がそう思うかもしれない。

 

だけど、そんな生き方だからこそ得られるメリットもある。

 

大きな感動や他人と分かち合う喜びを得ることもないが、大きな悲劇や他人と憎しみ合うようなことも決して起きない。

 

ただ同じ毎日が続くだけ

それが心の安寧に繋がる人だっているはずだ。

 

映画を観た後に必ずマックへ行く水原

仮に舞台がアメリカだったりしたら、カッコイイことに思えてくるのはぼくだけだろうか。

 

行きつけの映画館に足を運び、行きつけのハンバーガーショップで想いを巡らす。

 

自らの趣味を最大限に謳歌しているだけで、孤独など無縁の行動に感じられた。

 

そう思い始めた頃には、彼が着るadidasのジャージがジェームズ・ボンドが纏うスーツに

彼が走らせる乗用車が、疾走するボンドカーに

彼がかけるメガネは、エグジーやハリーがかけているメガネに

国外で起きているテロ情報を耳にする彼の姿は、どこかの国の諜報部員に見えてきた。

 

そして、「プールサイドマン」というタイトルが「キングスマン」と同等の意味を持つモノに感じられてきた。

 

だが、隣町への応援勤務を任されてから状況が一変する。

彼の心の安寧を 繰り返しの日々を打ち砕く同僚 白崎が現れる。

白崎がペーパードライバーであるため 水原の車で共に通勤することになるのだが、ここでまた「プールサイドマン」の意味が変化し始めた。

 

プールサイドからプールを眺めていれば、すべての状況が見渡せる。

その中心には決して足を踏み入れず、外野から覗いていればすべてが分かったような気になってくる。

 

それはプールも人間関係も同じなのだと思う。

 

傑作「GO」の言葉を借りるなら、円の外には手強い奴がいっぱいいる。

 

円の中にいる時ならなんだって言える

外にいる奴らをバカにだってできるだろう。

 

マクドナルド渋谷東映プラザ店付近に大量に群がるポケモントレーナー達

ぼくは道を塞ぐトレーナー達に 自転車のハンドルを握ったまま中指をおっ立ててみるが、誰もそれには気が付かない。

スマホ画面しか見ていないから。

 

彼らを見下している自分がいる

他にやることねぇのかよ!バカかよ!と

でも、そんな行動をしてしまっている自分自身の醜悪さには目を瞑っている

 

そう、自分はアイツらとは違うとか思っているけど 実際のところは変わらない。

 

根本的な部分は人間誰しも大差ないのだと思う。

 

白崎によってプールサイドから強制的にプールの中へと引きずりこまれる水原には、それまで感じたストイックさやクレバーさが失われていた。

白崎と大差ない人間なのだと思えてきた。

 

水原自身もハッとしたのかもしれない。

エヴァ用語を借りるなら、白崎と関わり出してから A.T.フィールドがより強固になっていた。

 

見てくれの違い 勉強・仕事の出来不出来の違いはあっても、人間の根本は変わらない

 

そう感じさせられた。

 

いくら心の安寧を求め それに徹していても、予想もできない外的要因がいとも容易くブチ壊しにかかってくる

 

真なる心の安寧を得るためには、プールサイドにいるだけではダメなのか

 

プールサイドマン 水原勇介

その存在をぜひ劇場でご覧ください。


前作『七日』を観賞している身としては、(言っちゃ悪いが)このような非商業的な映画に、多くの観客が詰め掛けていることにまず驚いた。私がこの映画をみたのは新宿武蔵野館の水曜日のサービスデーで客席は何とほとんど満席。『七日』に比べて集客が多いのはやはり東京国際映画祭や海外映画祭で賞を受賞しているということが大きいのだろうか。ゲストの来場もイベントも無いのに、小さな自主映画にこれだけの客が詰め掛けることがまず異例の事態だろう。

作品は美しくスタイリッシュな白黒映像の長回し、繰り返す日常、言葉を一言も喋らない主人公、さらにキャストに俳優を起用しないなど、大田原愚豚舎の前作『七日』を踏襲した演出や類似点が数多くありながらも、驚くほど全く違う仕上がりの作品となっていた。

 

映画前半は主人公のプール監視員・水原の変化やドラマの無い日常が、白黒の静謐な映像で描写される。

その描写は病的に執拗であり、意図的に挑発的で、恐らく多くの観客が退屈に感じ、眠気を誘われる者もいれば、苛立ちを感じる者もいるであろうあまりにも大胆で野心的な演出なのだが『七日』に比べて『プールサイドマン』は、何か狂気じみた緊張感をはらんでいて目を離す事ができない。

牛飼いの男とその祖母の静かな生活を美しく描いた前作『七日』には確かに存在していた牧歌的な雰囲気がこの映画からは根こそぎ取り除かれているのだ。

 

ロボットのように仕事に従事し、映画をみて、インターネットにふけり、朝はシリアル、昼はカロリーメイト、夜はハンバーガーを食べ、ゾンビのように寝起きする水原は、この映画の中では明らかに非人間的な存在として扱われているように見える。

前半1時間、水原一人の孤独な生活を追いかけ、劇的なことが何も起こらないまま進行する『プールサイドマン』だが、中盤、この映画は監督の渡辺紘文が自ら演じる“嫌われ者の同僚”・白崎の登場によって劇的な変化をみせる。水原はペーパードライバーだとうそぶく同僚・白崎と共にインフルエンザで欠員が出たという隣町のプールに応援要員として通勤することになり、彼が最も嫌悪し忌避している社会(世間)の中へと半ば強引に、無理矢理に引っ張り出されるのだ。

 

孤独な殻に閉じこもり一人で生活することで其処を安息の場としていた水原が、自己中心的な同僚・白崎と無理矢理関わらされることで次第に正気を失い、狂気に侵食されてゆく過程は、観客へのいささか過剰とも思われる喜劇映画的なサービス要素を持ちながらも(これが相当に笑えるのであるが)実に不気味で恐ろしく感じられた。

 

水原と白崎の車中の会話劇のシーンはこの映画の最大の見せ場ともいえるものだが、何を考えているか分からない表情で黙って運転をし続ける水原と、怪物的存在感でよどみなく社会や世界への不平不満を水原相手にブチまける白崎との間には一触即発の空気が不穏に漂っていてブラックコメディーの領域を越えサスペンス映画やスリラー映画を見ているようなスリリングさがある。ワンシーンワンカットで描かれた大胆不敵なこの車中のシーンが成立しただけでも、映画としての狙いを完全に成功させたといえるだろう。

 

『プールサイドマン』の後半は現実と妄想と悪夢とが入り乱れ水原が社会や他者と関わることでどうなったかという顛末が描かれる。

 

最終的に水原がどこへ向かうのかは明確に答えが出されることは無く、解釈は観ているものそれぞれに委ねられるのだが、ラストシーン、自分には気が狂った水原が暴力やテロに身を投じたというよりも、むしろ正常であった一人のプール監視員が狂気や悪意に満ちあふれた社会へ逆に引きずり込まれたようにもみえた。プールサイドにいれば自分なりの幸福と世界を享受できていたはずの男が、プールサイドからプールの中に引きずり込まれたように感じられたのだ。そして水原が引きずり込まれた社会というのは、狂気や悪意が常態化した私たちが生きる世界(現実)に他ならない。

 

人ごみの中へと消えてゆく水原の後姿と祭囃子、そしてワルツがいつまでも心に鳴り響き続け、激しく心を掻き乱されるような映画体験だった。

 

2017年の日本映画の中で圧倒的異彩を放つ孤高の傑作。


映画『プールサイドマン』を鑑賞した。昨年の東京国際映画祭で日本映画スプラッシュ作品賞を受賞、各所で話題になっていた作品だ。

 

内容は一言でいうとプールの監視員の日常を追う。主人公は一言も喋らないが、これほどまでに音が重要な作品はない。世界は不気味なほどに雄弁で、それを狂気と呼ぶ向きもあるだろう。そしてミニマリズム(差異と反復)や地方の風景(モータリゼーション)がその現実をいっそう歪ませる。ラストに現れるとある“祝祭空間”は痛烈なアイロニーと見るべきだと思う。

 

僕も監督と同じ北関東出身なので、車窓を繰り返し流れる道路沿いの看板(ベイシアだったり、WonderGOOだったり)の与える意味が痛いほどによくわかる。言葉を発しない主人公の傍らで、監督自身が演じる饒舌なキャラがいるのだが、彼から読み取れる思考や行動はギャグ要素はあるものの日常の重いリアリティが感じられる。名演。

 

渡辺紘文監督の役者としての存在感は、師と仰ぐ天願大介監督の作品(『赤の女王』など)における怪演からも示されていたが、『プールサイドマン』はまさに面目躍如の働きぶり。随所で笑いが起きていた。張り詰めた画が緩むときの間がまた素晴らしい。

 

誰もが僕のように「これはすごい体験をしたぞ」と劇場の外に出られるかはわからない。でもそれは世評が高い作品にはつきものだし、感動の強さは抱えている問題意識の差にもよる。だからこそ、自分の感度を試すためにも一度この映画を観ることをお勧めしたい。描かれた現実を我が事と思うだろうか、それとも絵空事と一笑に付すだろうか。


東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞受賞作!

 

渡辺兄弟の作品は処女作の『そして泥船はゆく』、去年の『七日』と観続けてきたわけですが、今回の『プールサイドマン』はこれまでの作品の集大成と言うか、作家性を前面に押し出しつつも、かなり観やすい作品になっていると思います。

といっても、『七日』と同じように前半の執拗な繰り返し描写はかなり人を選ぶとは思いますが…(でもそれがいい!)。

職場入ってからの長回しが予想通り過ぎて素晴らしかったですね。

『七日』は控えめに言ってかなり淡々とした作品だったのですけど、今回はそこをベースにしつつ「泥船」の軽妙な会話劇が乗っかっているのが特徴で、主人公の水原(今村樂)の超無口(ほんとに一言もしゃべらない)と対比的に、白崎(渡辺監督)のおしゃべりクソ野郎っぷりが際立っていて実に楽しい。

「すたみな太郎って人類の夢だと思うんすよね!」などといういい感じのセリフがポンポン出てきて、しかもそれがテーマと直結してる。プールサイド=周縁というアナロジーも見事でしたが、それが東京から対比的に描かれる栃木県で起こっているという二重構造の面白さ。で、最後のあれはやっぱりあれですよね…。某監督の渋谷スクランブル交差点爆破映画を思い出しました。


■日本経済新聞 映画評

 

北関東の退屈な街で黙々と日課を繰り返すプール監視員。

その背後でテレビは自爆テロやシリア内戦を伝える。

監督・渡辺紘文、音楽監督・渡辺雄司の兄弟のスタイルが強固で、世界と向きあう意志を感じさせる。★★★(古)


主人公のミニマムな日常を丁寧に描くことで世界の歪みと苛立ちが浮かび上がる。テロのニュースが流れるだけで、声高に主張するわけでも、これ見よがしの描写があるわけでもなく、モノクロの静謐な画面で職場と映画館と自宅の往復しか描かれないが、緊張感が途切れず退屈しない。団地を舞台に日常と性を丹念に描き、最後に空港爆破へ向かう若松孝二の「テロルの季節」を想起させるが、若松が最後に事を達成させるのと違い、闘争ではない個的衝動を静かに醸成していく姿が胸を打つ。


大田原愚豚舎@TIFF2016

 

世界の際の映画は、映画の雑多性を掛け金とし、それぞれの際の諸相から新たな映画の道すじを照らし出そうとする試行/思考の軌跡である。彼らは世界の際から世界を挑発し続ける。

限りなく広い世界とこの世界の際で生きる一人の個を接続する唯一無二の傑作


プールサイドマン観た。

心の中の不協和音が物凄く心地よかった!!

 

毎日ルーティンのプール監視員 水原は全く人と関わらず喋らず、でも心に秘めたモノはある。

ある日、新入りでお喋りの白崎が現れる。

水原はイライラが積み重なり、心に秘めたモノが加速する。

存在感のないそこに普通に立っている子が意外にヤバかったりする。

 

聞きたくない事聞いてイライラする。

言わなくていい事聞かせて怒らせる。

自分のテリトリーを侵されると攻めるか守るかする。

話は逸れるが戦争って「鶏が先か?卵が先か?」で遡ると難しいね。

 

ところで、淡々とした人の動きとラジオとTVで時間が流れる「七日」の手法に白崎論wが加味されて非常に面白かった!!

つーか、仕事変わったんだ(笑)

そういえば、恥ずかしながら「そして泥船はゆく」を観ていない。

再映ないっすか?


東京近郊の町にある温水プールで監視員をする水原(今村樂)は広い日本家屋に1人暮らし。毎日同じことを繰り返す生活で、彼が聞き入っているニュースはおぞましいテロの事件ばかり。 

そんな単調な日が続く中で、同じ系列のプールに応援に行くことになる。同僚の白崎(渡辺紘文)も一緒で、強引に「水原さんの車に同乗させてよ」と言ってきた。 

翌日から行き帰りが彼と一緒になる…。 

去年の 『七日』 の渡辺紘文さん、そこでは一言も口を聞かなかったが、今度は一人でペラペラしゃべりまくり、同僚からも嫌われている男・白崎を演っている。この白崎のしゃべりがおかしくて、クスクス笑いながら観てしまった。 

問題は寡黙な水原で、いつも駐車するところが古いクラシックカーが2台入っている車庫の前。そこに車を平然と駐車するのだから、この場所も自分の土地で古い車も自分の家のものだろう。相当な金持ちだったと想像する。 

この男の持つ不気味さは尋常ではないが、そんなことにおかまいなくずんずん近寄って行く白崎の無神経さも違和感があって面白い。 

☆『七日』のおばあちゃんの平山ミサオさんも♪シューベルトの音楽も健在だった。 

この『七日』も武蔵野館で上映されていたが、今週(今日)までだ。この作品をDVDで見るというのは「我慢大会」になりそうなくらいだから、よほど覚悟して見ていただきたい。どこかで上映するニュースを見つけたなら是非、大画面でご覧いただきたい。

『プールサイドマン』も『七日』も東京国際の日本映画スプラッシュ出品作で『プールサイドマン』は作品賞を受賞した。


プールサイドマンでした、あのぉ、オススメしづらいけどとてもとてもあのぉ………すごかった…………

邦画らしくない邦画だった、あれは確かに海外でウケると思う、あのぉ〜〜〜2週間しかやってないんですけど興味があればあのぉ………ぜひ………「プールサイドマン」です………

役者の背後から、限りなく一人称に近いカメラで撮るのって、はしりはたぶんエレファントだよね、あれほんとにお腹キリキリする絵面になるから、ガスヴァンサントはすごいなと思う……プールサイドマンもほんと、音楽と画でキリキリキリキリ辛かったほんとに…………

しかも同僚役監督って今知って芝居うますぎでは…!!??同僚のおかげでなんとか最後まで観られたもんね!!!??主人公だけだったら吐いてた、辛すぎて

プールサイドマン、情報が奔流になって主人公を揺さぶるシーン、今でも目に焼き付いていてとてもつらい、あの苦しさってとてもよくわかるなって、ネットの普及でわたしたちは多くのことを知ることができるようになったけれど、そのせいで混乱することも増えた、何を選んでいいのかわからなくなった

世の中では確かにおかしなことが起きているし、周りの人は目の前の不具合を感情任せにぶつけてくるし、なにが起きているのかわからない、だけど人は傷ついているし、そうやって更新し続けられる痛みを、簡単に受け取ることができる、なにが起きているんだろうな、わからないままなのに焦りだけはつのる

あの音楽本当に怖かった……背中からじわじわ追い立てられているみたいな音楽……実際ずっとそんな気持ちでいるような気がする、今回の銃撃事件だって、なにが一体起きているのか、どこを組み直せばまともになるのか、わからないのに現実が迫ってくる、もうずっと、それに追い立てられている気がする

それをひたすら、日常のルーチンの中で描いていくっていう、ともすれば飽きられるようなギリギリのところを、じーっと撮り留める、みたいな映画でした、息するの辛かった……ちょうど対極にパターソンがくるのかも、それを同時期に観られるのはちょっと、なんだかすごい映画体験のような気がする


IS、テロ、爆破、拉致、疫病、、、

マスメディアから流れるニュースを

BGMに過ごす毎日。

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いつまで他人事でいられるのだろう。

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いつもの時間に起きて、

いつもと同じ食事をし、

いつもと同じ内容の仕事をする。

いつもと同じ映画館、

いつもと同じマックで夕食、

いつもと同じ格好で寝る。

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映画館、満席だったら?

マック、閉まってたら?

プールで誰か溺れてたら?

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営業前に、更衣室のロッカーの中を全て

確認する作業が、劇中何度も繰り返される。

中身、何も無いことが当たり前で。

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危機管理能力絶対低いでしょ!って

リスク分析してるのかよ!って

イライラさせられたけど。

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ラストは、何かにやにやした。

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ああいう人多いと思うけど、

多分、好き嫌いで動いてるんじゃなくて

受動的で、必要最低限。

生きてるとか生かされてるとかでもなくて

ただ目の前のことを淡々とやっていく。

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だから、嫌いなものに遭遇した時の

対応力の無さが浮き彫りに。

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死へ対する恐怖心の無さとか

人間関係の脆弱さとか

急に非日常へ興味が出ては、

過激なことに手を出したりする。

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現代社会の風刺映画みたいな感じでした。

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主人公セリフ無い分、生活音が目立ったり

音が、0←→100の時もあったり、

ピアノの単音が怖かったりとか。

とりあえず、

観終わった後、なんか疲れた。。


第29回東京国際映画祭出品作品

 

プール監視員の男の普遍的な日常が、パターンが変わることで、男の精神がだんだんとおかしくなっていく、シュールな作品。

題名を見た瞬間、気になってしまい、ついチケットを買ってしまいました。

 

始まってから主人公の毎日の生活パターンが4日分くらい続き、これは結構拷問に近い作品か、って思ってたら、パターンに変化が生じてからの主人公の精神が壊れていく感じとか、ラストの祭の人混みの中に消えていく主人公がどうなってしまうのか、ハラハラしながら観てました。

 

後からフツフツと来る映画でした。


TIFFより映画『プールサイドマン』。今回も反復の狂気がやってきた。それが最高に面白い。プール監視員もタクシードライバーと似た社会経験のよう。サイドから中心を見て、まともなのは俺かあいつか。生き易いのが生き辛い。ラジオから流れる不穏な世界情勢と日常の不協和音がどうしようもない。


「プールサイドマン」観てきた。

の音からドキドキが止まらなかった…。

ああいう人はよくいて笑いながら観てたけど自分もあんな風に人に話してる時あるかもしれないよ、こわいな。

ドラゴンボール世代です。


「プールサイドマン」見てきた。美しく画面に収められた、市民プールの更衣室のロッカーだけでゾクゾクしちゃった。『もっていかれる』類いの素晴らしい映画でした。


『プールサイドマン』一触即発のやばい緊張感がずーっと持続している。

見終わると、この映画の世界と自分の日常が接続されてしまっていることに気付いてぞっとする。

立ち位置自体が脅かされてしまうとんでもない怪作です。見て欲しい


夜、私的にTIFF2016最大の山場である渡辺兄弟の『プールサイドマン』上映が終わってしまいました(T ^ T)

1年間待ち焦がれたし、めちゃくちゃ期待してた。。。そしてそして、、はぁ〜痺れた〜♡♡♡⤴︎⤴︎⤴︎

あまりに好き過ぎて、上映前エスカレーターで劇場へ向かう監督にお声かけてセルフィーで2ショお願いしたり、上映中は身を捩って足バタバタさせ、ラストで思わず涙したり、、、Q&Aで質問もしてサインも頂けた‼️

そんなミーハー心全開でおかしなテンションの自分に付き合ってくれた知人に心より感謝です♪ 


「プールサイドマン」を観る。

本当は違う作品を観るつもりがこの作品のビジュアルに不思議と魅かれてこの作品を観ることに。

日常の中に存在している歪みを解放出来ないことで加速度的に生まれてしまう狂気。

郊外の街で暮らす人間の平凡な日常をテーマにしていると言う点では偶然にも「パターソン」と同じではあるんだけどこの2つの作品の着地点は余りにも両極過ぎた。


『プールサイドマン』

 

栃木の大田原を舞台に、プール監視員の男の日々を淡々と描くモノクロ作品。

社会不適合ギリギリの主人公は、作中一言も発せず、それが不穏な緊迫感を醸し出している。

特に後半の冗舌な同僚との車中のシーンは地獄かと思った。


ミサイルマンでもプールサイドストーリーでもなく、プールサイドマン。タイトルだけでもそそられる。これぞインディーズ。たまらない。テロや争乱から遠い日本のしかも中心から離れた地方を舞台に描かれるテロや争乱。いまの日本にこういう創り手のいることがうれしく誇らしい。貧乏臭くないのもいい。


プールサイドマン、情報が奔流になって主人公を揺さぶるシーン、今でも目に焼き付いていてとてもつらい、あの苦しさってとてもよくわかるなって、ネットの普及でわたしたちは多くのことを知ることができるようになったけれど、そのせいで混乱することも増えた、何を選んでいいのかわからなくなった

 

世の中では確かにおかしなことが起きているし、周りの人は目の前の不具合を感情任せにぶつけてくるし、なにが起きているのかわからない、だけど人は傷ついているし、そうやって更新し続けられる痛みを、簡単に受け取ることができる、なにが起きているんだろうな、わからないままなのに焦りだけはつのる

 

あの音楽本当に怖かった……背中からじわじわ追い立てられているみたいな音楽……実際ずっとそんな気持ちでいるような気がする、今回の銃撃事件だって、なにが一体起きているのか、どこを組み直せばまともになるのか、わからないのに現実が迫ってくる、もうずっと、それに追い立てられている気がする

 

それをひたすら、日常のルーチンの中で描いていくっていう、ともすれば飽きられるようなギリギリのところを、じーっと撮り留める、みたいな映画でした、息するの辛かった……ちょうど対極にパターソンがくるのかも、それを同時期に観られるのはちょっと、なんだかすごい映画体験のような気がする


凄まじい。

 

なんて感想を言えば分からない。

 

日本映画の新境地。

 

SF戦争日常猟奇的コメディホラー会話劇。

 

鳥肌の爆発。

 

アート。

 

この監督、

多分 日本映画が嫌いなんだろうな。

いや、日本が嫌いなんだろうな。

いや、日本人が嫌いなんだろうな。

いや、人間が嫌いなんだろうな。

いや、全てが嫌いなんだろうな。

いや、全てが好きなんだろうな。

 

洗脳されそうなレベルで、

ハマる映画。

 

無限に観ていたい。


何処かホラーのような雰囲気のなか始まる。怪しげな音と、無表情な主人公。存在してるのかもよく分からなくなるほどに不気味である。

 

繰り返される毎日の行動。

 

生きているというか、動かされてるみたいに動く人物。

 

観客は音に踊らされ、何か期待する。身構える。

 

だけど空振り。

 

何度目かの同じシーンで、みてるこちらもまた、期待することを諦める。

 

『なんだ、また同じか。』

 

きっと主人公はこれまで幾度となくこの言葉を繰り返したんではないか。

 

期待しない

ただ、眺める。

 

そうか、そういうことか。

人間て期待する生き物なんだ。

この人物だって。

 

溜まってゆく。

何もないように見えていたシーンの連続の中に、僅かな歪み。

ある時からドラマが始まっていた気がする。

 

分かりやすく同僚が出てきてるけど

なんだって良かった気がする。

 

だけど最後の祭りは、なんか怖いことを予感させるような、紛れてしまって、ああ。

 

あの人間は変わるのだろうか?

それともまた諦めたのかな。

 

外との関わりを、人と関わることを

削除してしまうと

人間はどうなるんだろうね?

 

日々生きること

大事だけど

無関心

目の前のことだけではなく


📽日本映画スプラッシュ📽

 

『プールサイドマン 』監督▶︎渡辺紘文

 

あるプール監視員の繰り返される単調な日々を不安感たっぷりに描く。日本映画には数少ない、世界情勢に着目する一作。

 

デビュー作からTIFFで上映され、今回3作目となる渡辺監督作品!私にとって、今回初体験の渡辺ワールドでしたが、その言葉通り鑑賞するというより体験、体感型の作品でした…!

 

不安&不快感を煽るしつこいほどの"繰り返し"!そして『勘弁して…!!』と叫びたくなるような"音"と"映像"による狂気と圧迫感。

からの、糸が突然切れたかのような静寂。

 

こんな映画は本当に初めて!

 

お客さんの中にも渡辺ワールドのリピーターは多く、「覚悟してきました!」という意味深な言葉も聞こえてきました…!!! トラウマ映画で、中毒映画。

 

そして同時に、日頃遠くのこととして、素通りしてしまう世界の問題を今一度考えさせられる作品…!

 

気づけば私も渡辺ワールドのファンに。。 


無心よりも何か怖い存在。殺戮と銃声と泣き声とボイラー室の機械音。映画館のクラシックとアナウンスは至福の合図。今日は異常があります。今日は安全です。チェック表に淡々と記入する名目は通常の合図。そして淡々と流れるニュースキャスターの声。すーっと流れていきそうで忘れらない。感情の無い言葉は果たして意味を持ってしまって良いのか。毎日大勢が聞くポップソングのように日常的な音は洗脳されていく。自分自身にかける言葉でも音楽でも。それに今日は何人死んだとか、今日は何があったとか。知れない事が怖い時代にきてしまって、知りたくもない事が知りすぎてしまう時代。淡々と麻痺することさえ通常的健康的になったようです。無言で映画館に入り無言で映画を見て無言でいつものように同じ家に帰りました 。


全編モノクロ、エンターテイメント性皆無の究極のミニマル作品。

 

120分一言も話さない主人公の水原さんの日々の生活を延々と繰り返す。

 

しかし、メインテーマは世界中で蔓延するテロや戦争をテーマに栃木県大田原市を舞台に日本人としての意義を問うもの。全編で流れている世界情勢を垂れ流すニュース的ものが、沈黙の水原さんと妙にマッチしていて、そこは妙にホラー感覚。

 

演出も良いが、きっと渡辺監督は海外志向が強いのだろう、一瞬リンチ作品か?と思うようなパートもありニンマリ。

 

それよりも撮影とBGMが素晴らしい。好き嫌いは分かれると思うが自分は支持派!

大田原愚豚舎チームこれからも要チェックですな。ふ


音楽が、音がいかに映画にとって重要なものか。使い方がお上手でした。

画面作りもとても好み。

笑いのセンスも好み。

平和な日本の日常に潜む歪んだ狂気。

解釈の別れる映画。

いいね!


昨年の東京国際映画祭の日本映画スプラッシュを制覇した日本映画。横っ面をビンタされるような衝撃作だった!

 

渡辺監督の前作『七日』と同じく、主人公の日常を、モノクロの映像で描いた作品。主人公には台詞が一切無く、この点も『七日』と同じ。

 

映画の内容は『七日』以上に変化に乏しい主人公の日常に驚く。日々の行動はもちろんのこと、観る映画や食事の内容に至るまで、今作で描かれる日常には「変化」がない。

 

読み取れた変化は、車内で昼食を採るときに、窓を開けているかいないかとか、主人公の同僚の清掃の持ち場が変わってるとか、本当に微々たる変化しか存在しなかった。

 

映画に変化が訪れるのは中盤戦。渡辺監督本人が演じる同僚が出てきて、とにかく社会への不平不満を愚痴りまくる。

この愚痴が聞いていると、「喋ってるお前も他人のこと言えないだろ!」と突っ込みたくなるような、ブーメラン丸出しで不愉快に感じる(バカバカしさに笑えるので、映画としてはこれで成功)ものなのだけれども、普段自分が頭の中で考えていることと、一部一致していた部分もあってドキリ。

そして、この同僚に主人公が露骨に嫌悪感を表に出してるので、てっきり「この同僚を殺すのがオチか!」と思ったけど、この安直な予想は簡単に裏切られた。

 

映画は主人公が観客に視線を投げ掛ける瞬間から、急展開を向かえる。日常と非日常。現実と妄想。平和と暴力。個人と社会。様々な「表と裏」が入り乱れる、衝撃の嵐だった!

 

感想は主人公の停滞した日常だったり、主人公の同僚が抱える不満だったり、世界の情勢に対して見て見ぬふりをする感覚だったり、無自覚の内に周囲への気遣いを欠いたりと、これらは何れも観客の内面に少しづつ存在しているものなのだと思う。そして、これらの暗部だけが集積すると、殺人やテロは意外と身近な存在になるって話かなと。

ただ、多くの人は今作の主人公のように一線を越えないと思う。それは今作では描かれない友人や家族の存在だったり、日常的な変化や些細な楽しみ、夢だったり希望だったり、そういったプラスのエネルギーが、多かれ少なかれ存在するからに他ならないと思う。

 

渡辺監督が抱える「怒り」や「諦念」が感じられる、骨太な映画だった。正直、見終わってから一晩明けたけど、未だに考えや感想が頭の中で渦巻いていて、まとまっていない。少なくとも、昨年の東京国際映画祭の日本映画スプラッシュを制覇したことには大いに納得。

 

映画館で観ることを圧倒的にオススメします。(自宅のテレビやPCで観ると、前半のあまりの退屈さに挫折してしまうと思うので。。。)


新宿武蔵野館。

先週の『七日』に続き『プールサイドマン』観賞。

昨年の東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門のグランプリ作品。

 

『七日』の牛飼いの主人公に続き、本作の主人公プール監視員の水原は最初から最後まで一言も言葉を喋らない。

一方、『七日』で一言も言葉を喋らない牛飼いの男を演じた監督の渡辺紘文がこの映画では水原の天敵の同僚として中盤から登場、もうマシンガントークで喋るわ喋るわ喋りまくるわで大変なことに(笑)

 

物語自体はスリラー調、ある意味ではホラー調で、現代の日本の社会が抱える問題や闇を炙り出そうと試みる中にグロテスクともいえるシニカルなユーモアが散りばめられていて、なかなかお目にかかることのできないタイプの映画だった。

 

ラストにかけての解釈もまた人それぞれ違う解釈になるタイプの映画。

 

働いて、食べて、寝て、誰もいない映画館に行って映画みて、ネットやってっていう主人公を見てると自分の姿をみているような気にもなった。自分も水原も大して何も変わらないんじゃないかと。

 

水原のように境界線を越えるか越えないかなんて、所詮紙一重だし、そう考えると身震いがする。考えてみたらオープニングの誰もいないプールの水原と水面に映る水原はそういうことを暗示していたのかもしれない。

 

ちなみに前作『七日』に比べると『プールサイドマン』は遥かに観やすい印象。

 

まあ、あとを引くというか色々考えさせられるし、見たほうがいい映画ではあると思います、個人的に。


 

同じ時期にパターソンとプールサイドマンを見ることができたのは幸せなことなのかもしれない

 

 

後半のフックが効いてる。

更衣室のロッカーを両手で開け閉めする音が印象的。

 

 

ロッカーの開け閉めの音が官能的。

無機質ながらも惹かれる部分が多かった。

音がいい。

 

 

主人公が一言も話さない映画は初めて観た。

孤独とは少し違うように感じたけど、どうなんだろ。

まだモヤモヤする。

 

 

気がつくとプールサイドマンのことを考えている自分がいる。

プールサイドマンはあれからどうしたかな

 

 

欲張りだな〜

映画はいい道具なの?って思うけど、これこそ映画だと認めざるを得ない、すんごく面白かった

撮影の方又玹さん、すごく好き

 

 

ちょうど1週間前に見た「七日」がひっかかり続けてて「面白いのが観れるかも」って予感もあり、同じ渡辺紘文監督の「プールサイドマン」を見る。...

 

 

映画と現実とが地続きのような錯覚にとらわれ、モノクロのプールサイドのイメージが幾度も頭の中にリフレインしてくる。

恐らく今年最も衝撃的な日本映画の1本。

 

 

モノクロの日常、

狂気のミニマル美。

青い怪作。

 

パターソンも

プールサイドマンも

陽の光で目覚め、夜に眠る、

この世界の何処か。

 

 

TIFF2016からほぼ1年ぶりの映画「プールサイドマン」観賞。脳みそ掻き回してもらった〜💓音も映像もやっぱりサイコー(๑˃̵ᴗ˂̵)

深読みせずにスクリーンから嗅ぎ取った喜怒哀楽の感情に身を任せる快楽✨

渡辺紘文監督に敬意を表して、事前にゴールデン街で煮干しラーメン食べて臨んだ🍜😂

音楽の使い方、会話のチョイスに監督自身の演技も、すごくツボ◎

しつこさもたまらない…。

 

 

見てよかったなあと思ったけど、脳みそ処理しきれなくて吐き気した😷

ノイズの間が怖くて、とにかく自分の平和ボケが浮き彫りになった。トラウマすぎる。よ。。

 

 

午前中ジーパンかってカレー食べて、午後は東京国際映画祭に出かけてきた。観たのは「プールサイドマン」。最近プール行ってないなあとか思いながら観てた。毎朝のコーンフレークとか煙草吸うときちゃんと窓開けるとことかすごく好きだった。

 

 

新宿武蔵野館で『プールサイドマン』を感賞。プール監視員の日常。主人公の協調性の無さは、ある意味すごいなー。

変わらない日常に爆発しそうでハラハラ。まあ、何を思うのやらって。得意気に語っちゃう同僚はうざいなあ。変に緊張する映画でした。

 

「プールサイドマン」僕もビートルズ、ストーンズ世代であります。

 

 

「プールサイドマン」衝撃的な作品やった。

 

 

女子高生の娘が 学校帰りに「プールサイドマン」を観て やはり 帰って来れませんでした!

 

 

『プールサイドマン』

このあいだ「OHTAWARA」と書かれたジャージを2時間近く観てたおかげで、大田原と言えばプールサイドマンと焼き付けられてしまった。今HNKで大田原を舞台にしたアニメをやってるけど、まっ先にプールサイドマンが頭に浮かんできた。

 

 

渡辺紘文監督『プールサイドマン』

予告編のあまりのストイックさに惹かれ鑑賞、「マジかよ」「つかれた」「こわい」「前代未聞」みたいな小学生みたいな感想しか出なくてごめんなさい。あー怖い。終わってから段々やっと染み込んでくるやつでした。いいタイトル。

 

 

『プールサイドマン』っていうタイトルだけみてアメコミヒーローモノのパロディーみたいな映画だと思って軽い気持ちで観に行ったらとんでもないもんみせられた…。

完全に食らった…。

自分の正体を覗いてしまった感覚というか、トラウマみたいに後々引きずりそうコレ…。

 

 

きのう「プールサイドマン」観て思い出したこと。30前半のこの世代はたぶんドラゴンボールもワンピースも読んでるんだろうけど、わたしはどっちも知らない。というか、子どものころドラゴンボール・スラムダンク・幽遊白書・セーラームーンなんかで盛り上がってたところに入れたこと一度もない。

なんなら、ダウンタウンとかとんねるずも知らなかった。もちろん存在は知ってたけどどれも見ていなかったし見たいとも思わなかった。じゃあ何を見ていたのかと聞かれるとほんと覚えてない。親の方針だったのかなんなのか。

 

 

新宿武蔵野館で「パターソン」「七日」「プールサイドマン」を同時期に見るという、俺と同じような経験した人はどのくらい居るのだろうか?

パターソンの単調に見えて様々な出来事に彩られた世界は、しかしながら完結していて寓話的。プールサイドマンは現実世界の不穏な暴力が匂うというね。

 

 

昨年、東京国際映画祭日本映画スプラッシュで作品賞の『プールサイドマン』今日から公開のようです。

監督演じる主人公の同僚が良い味出してます。職場にいたらウザいでしょうが映画の中では最高のキャラです。

 

 

正直、一昨日に武蔵野館でプールサイドマンを見て、未だに自分が暗い、重い心情を引きずっている。

今日も明日も無心になって仕事して、無心になって他人と違う他人の話をして、無関心になったなんて嘘ついて、無心になって笑ってさ、毎晩見るニュースキャスターの声で心が壊れちゃいそう。

 

 

「プールサイドマン」

四角い枠に収められた風景は、テレビやラジオから発せられるテロ報道のように、現実感はないが存在している。

コミュニケーションゼロ。ついに一言も喋らなかった主人公が「海外旅行」から帰国して聞くのはテロの報道ではない。外界に影響された彼は人波に消え何をするのか。

 

 

白黒で描かれる屋内プールが美しく、真っ白なマクドナルドのマークが印象的。イスラム国に影響を受けた若者の話、という解釈でいいのだろうか。同僚を睨んでる主人公の目はとっても好き。

単調な毎日、単調な食事、孤独と危険思想。タクシードライバーにも似ているかな。映像が秀逸なので、次も期待。

 

 

ニーチェの馬みたいなのを想像してたんだけど、とんでもない風刺作だった...

これは今見ないとわからない作品な気もする...

 

 

ほぼ満員の映画館で。

すっごく面白かった。

 

 

かねてから仲良くさせてもらっている樂くんが主演を務める

『プールサイドマン』@東京国際映画祭

観に行ってきた

観る側の価値観で解釈が変わる。

こういう映画嫌いじゃない

楽しかった〜

 

 

 

劇場出て舞台挨拶に来てた監督(白崎役)みて笑ってしまった。

〜なんすよ、結局。が耳に残る、、

 

 

桁外れの映画。

自主制作映画の概念が覆るほど完成度が高すぎるし面白すぎる。

今後はたして彼らがどのような映画を生み出していくのか期待。

 

 

好きだけどハマらなかったたなて感じ。

勇気ある作品

 

 

作ったもん勝ち褒めたもん勝ち

酷評したもん負け

とりあえず坊主が監督やということを知り

ラジオパーソナリティになってほしいと思う

 

 

何の変哲もない日常 

そこに、他人が加わるという日常的な行為が加わることにより 退屈ながら自分の生活もそういうことか・・・・・・・

とパターソンと照らしあわすのだが、裏版というところか

このような掲示板に記事を書いている自分で自分もそちらの人間ということか

テクノロジーの恩恵(呪い)を受け、それに縛られ生きている自分にこの作品を否定する権利があるか?笑い飛ばすのが正解だとも思うのだが、帰りにマックでビッグマックをほおばり、今日も知らない誰かについて憎悪し賛美する記事を書く自分がいる・・・・・・・yahooニュース、まとめサイトも全て自分が上からの神様ばかりが目に付く世の中。耐えられる自身ないやつはスルーすべし。

 

 

新宿武蔵野館の上映最終日に駆け込みで観賞。

トークショーで監督が言ってた実際の事件てあの事件かな…

脳みそぐちゃぐちゃにかき回されて自分の中ではまだ全然整理がつかないけどトラウマになるレベルですごい映画だった。

何回も笑ったし。

機会があったらもう一回観たいなあ。

 

 

映画って感じ。

絶対同僚殺す、てか殺せとおもったけど、もっと大きな話だった?

話はほぼわかんないけど、音楽と音がすごくよかったです。

やりたいというか、言いたい!が詰まってる感。ぎちぎち感。

文句マンはくそだということがよくわかった。

 

 

俺の話かと思ったわ

前半軽く寝たけど途中から出てくる同僚がウザすぎてクソ笑った

しかも演じてんの監督だし演技うますぎだし体張りすぎやろww

まああんまし期待してなかったけど馬鹿みたいなところもあるし客も笑ってるやつおったしけっこうおもしろかったな

暇つぶしにはなったわ

俺だったらあのクソうざい同僚は殺すかもしれないな

と考えてしまう時点で俺も病んでるんだな

こわいわ

 

 

TIFF2016

 

モノクロの撮影ということもあり、冒頭タイトル(最初にこういう風に律儀にキャストとスタッフを流す映画も今は減ったものだ)が終わった後に屋内プールの更衣室ロッカーを真正面から平行に捉えたショットには一瞬たじろぐ。なにやら異界めいた雰囲気が一気に立ち込める。普通の状況が普通に見えない。ロッカー内の忘れ物チェックでロッカーを端から端まで矢継ぎ早に開閉していくところのある種の「異常ではないのに異常に見えるさま」は、既にして作品世界を暗示しているようだ。

 

本作主人公の水原は映画中でただの一言も口を利かないし他人とコミュニケートするそぶりすらない。プール監視員を務めるプールでロッカーの中の忘れ物を確認し、ボイラー室で何かのチェックを行って表に記入し、ほとんど人のいないプール脇に立ってプールを監視し、休憩中のバックヤードでは同僚が楽しく雑談をしている中で机の端の定位置に毎回座り全く会話に加わらず、退社後はプール出入り口の喫煙スペースで一服し、水原以外に誰もいない映画館で映画を観て(必ず戦争映画の類い)、車でマックに行って晩飯、帰宅するとパソコンを立ち上げて何やら熱心に見入る(たまに微妙にニヤける。映画内で水原が表情を変化させるのはここだけ)。朝飯は常にシリアルの類。家や車内では毎回必ずテロのニュースか報道番組の音声が流れている。このサイクルが細部は微妙に異なるもののこれでもかと都合4回反復され、「終わりなき日常」が観客にも否応なしに印象付けられる。

 

水原が自分の「城」を築き上げ周りと関わらず、頑健な城壁で己の精神を外界からの刺激によって乱されないようにしていることと、テロという手段で世界を変えようとする連中とは、対話を拒んでいるという点である意味似たようなものだが、世界に関わる意思があるかないか、という点では根本的に異なりもする。

 

しかしながらプール監視員の同僚である白崎が、隣町にあるプールから人員不足でヘルプ要請を受けたが、自分はペーパードライバーなんで車の運転が出来ないので車に乗せて欲しい、と水原の領域に介入して以後、水原の精神が微妙に変調を来たす。変化がないがゆえの平和が崩壊させられるためだ(むろん、この平和はかりそめの平和だが)。

 

その「変調ぶり」は(端的に破壊衝動と言っても的外れではあるまい)映画内では然るべきイメージの乱反射として描かれているが(これは言葉にするといかにも陳腐化かつ矮小化に繋がるので観て頂きたい)、作品内で水原を取り巻く外界には具体的な痕跡は残していないように見える。映画の最後で祭の情景が、主要被写体であるはずのやぐらは奥にあるにも関わらず被写界深度がやたらと浅い撮影で収められる中、水原がその人混みの中に入って行く場面で(ここで深度が徐々に深くなる)、この男は「何か」をやらかすのではないか、と観客は皆不穏な空気を感じるはずだ。しかし、映画は人混みの中に消えた水原のその後を描かずにそのまま終わる。何かにコミットして行くことを暗示させる幕切れだが、それはあるいは水原が毎日ラジオか何かで聞いていたテロの類でない、とは誰も言い切れまい。しかし、いくらテロを連想させるような展開だとは言え、単にそういう文脈に収められない曖昧さがあり、これは観る人の数だけの解釈がありうる。

 

差異と反復、多様に解釈可能な曖昧な細部の集積。観ていて楽しい映画とは言えないが(とは言え、渡辺監督自ら演じる白崎が一方的に水原にしゃべり倒すシーンは相当笑えます。コミュニケーションが成立していない。水原がネガなら白崎はポジ。本質は似ている)、しかし一瞬も目が離せない。これは一般公開して欲しいものだ。観る人を選ぶ映画ではあるけれど。

 

ちなみに本作は音楽に独自のこだわりを感じさせ、一筋縄では行かない。冒頭いきなりリゲティの『ヴォルミナ』の強烈なトーンクラスター音響がぶちかまされ、さらには同じ作曲家の『ムジカ・リチェルカータ』の反復。シューマンの『森の情景』や映画館のロビーで毎回流れるシューベルトの『鱒』(殺伐としたロビーの雰囲気と温かみのあるシューベルトとのギャップがエグい)。エンドロールではキューブリックが『アイズ・ワイド・シャット』で用いて以来有名になったショスタコーヴィチのジャズ組曲のワルツかな、と前奏で思わせておいて恐らくは映画独自の意図的な楽曲が流れ始め、しかも『80日間世界一周』の有名なテーマも引用され、いかにもキッチュな印象を振りまく。そう言えば『ムジカ・リチェルカータ』は『アイズ・ワイド・シャット』にも使われていた。渡辺監督は意識しているんだろうか。単なる偶然?

 

 

【「スイス・アーミー・マン」との意外な関係】

 

東京国際映画祭を制した渡辺紘文監督作が遂に新宿武蔵野館で公開!ブンブンが参考にしているインスタグラム系映画アドバイザー・ミヤザキタケルさんがオススメしていたので観てみました。

先週観た同監督の「七日」と比較すると面白い。「七日」は何も起きない日々が綴られる「静」の映画だが、この「プールサイドマン」はドラマティックな「動」の映画だ。

無論、主人公が喋らないのは共通している。

栃木の田舎町で淡々とプールの監視員をする男。彼は毎日、ヨーロッパのテロのニュースを家で聴き、アクション映画を観にいくのを生き甲斐にし、退屈で同僚からもハブられている職場を生き抜いていた。

そんな彼が、ある日を境に絶望的なまでにつまらない男と行き帰りを共にしないといけなくなる。男はベラベラと社会の愚痴を言う。嫌だ嫌だと顔をしかめる、オーラで訴える今村樂扮する主人公を観て、「私もあったわー高校時代」と共感しドンドン物語へと没入した。

そして、一見「何が面白いの?」と言われそうな難解で陰鬱な物語からある形が浮かび上がってきた。

それは「スイス・アーミー・マン」だ。死体に男が話かけ続けることで、自殺しようとしていたその男は正気を保とうとする話。

まさに本作も構造は似ている。テロや暴力を求めるが、感情を抑制し動けずにいる男が、赤裸々に心を解き放つ者との対話(一方的ではあるが)を通じて、人生の在り方を見つけ出す話になっているのです。

恐らく、「スイス・アーミー・マン」も「プールサイドマン」もベルイマンの「仮面/ペルソナ」からかなりインスパイア受けているだろう。

とにかく、「プールサイドマン」は嫌な上司に悩まされている方必見、DVD化も配信も期待できないので是非劇場でWATCHしてみてください。

 

 

げきこみだと思ったら、サービスデーだったのね。あまり予備知識なしでみたが、( ゜Д゜;)!?

ほぼくるった映画に見えた。

観客が笑ってるシーンでは自分も笑えたが、

途中まで見て、これおれじゃねーか・・・・・・

他人の文句を客観的に見て、不愉快なことに気づく。

(というよりそこを見ざるを得ない作品)

面白いけど、見る人によってはトラウマを植えつける作品!?

 

 

プールで働く男の日常。ロッカーの中身を点検するために開けては閉めてを繰り返し、ボイラーの様子を点検するために歩き回る様子、あるいは人が泳ぎ続ける様子を長回しで捉え続ける。そしてその日常がただひたすら繰り返されていく。この映画において観客が感じる退屈は、水原の感じているそれの追体験ではないのだろうか。水原の日常の繰り返しから生じる倦怠は劇伴や同僚とともにしだいに映画の内圧を高め、着火し爆発するのを待っているかのように描かれていて、どこまで内圧を上げられるかのエクストリームを競っているかのようにも見えてくるのであった。ラストちょっと食い足りない感あるけど怪作。

 

 

主人公が同僚に煙草やめた方が良いよと言われてる最中に煙草吸い始めたのがウケた

 

 

日常の繰り返しのはずなのになぜか目を離せない

 うるさい同僚、クセになる

 

 

映画 プールサイドマン

今年一、広意の恐怖体験。いわゆる商業映画とは一線を画した強烈な作家性。深淵より覗かれる闇への共鳴と拒絶。類すは『タクシードライバー』ただし決定的な違いは体温。諦観の中にもあった熱がコチラには全く感じられない。惜しむらくは後半、ここに来て“親切”過ぎるよ 笑

 

 

大田原愚豚舎によるプールサイドマン。 

同じく大田原愚豚舎の「七日」に比べると、随分とわかりやすい。 

プールの監視員が、監視台から時代を見る。 

そんなものをシュールに描いた感じはするのですが、表現方法はあまり好みではありません。 

面白いのは会話であって、極端なことを言えば静止画でも十分じゃないかと思ったからです。 

モノクロで描いた監視員の男の一週間。 

正直なところ3日目までは、七日と同様に何も起こらず眠気を誘う。 

4日目から主人公の男の同僚(監督)が登場し、話が面白くなりました。 

主人公の男は全く喋らないのですが、その分、同僚がよく喋ること。 

これが私が思うところと近いものもあったので、ちょっと笑いが止まらなかったです。 

結局のところ言いたかったのは「平和」ということなのでしょうか。 

平和を英語にするとピース。 

マンガのワンピースと、タバコのピースと、見事なオチだったと思いました。

 

 

東京の武蔵野館にて視聴。

8時45分からの上映。

武蔵野館を探すのに新宿を練り回り、やっとの事で見つけた。

上映まで時間があったので、学生時代の思い出、ゴーゴーカレーで晩御飯を食べることにした。

渋谷のゴーゴーカレーは、キャベツやマヨネーズ、お冷が全てセルフサービスであった。

実は、今日の昼も高円寺でカレーを食べたことを思い出し、カレーばっか食ってるなと思った。

ビジネスサイズのチキンカツカレーを平らげ、適当に時間を潰して、武蔵野館へ向かった。

少しだけ時間があったので、喫煙所に行くと、いい感じのお兄さんがタバコを吸い終わってケータイを触っていた。

きっと映画が好きな人なんだなぁ、と思いながら一服した。

プールサイドマンについて

プールサイド、アディダス、コーンフレーク、マクドナルド、カロリーメイト、外国産の車、etc...

最後だけは、日本古来の祭り…

 

 

人間の狂気。世界の狂気。日常生活の狂気。

 

 

淡々と繰り返されるモノトーンの日常とストイックのあまりニーチェの馬かと思ったわ。

予想外に風刺で政治的でコメディだった。

 

 

いわゆるセカイ系の匂いがした。エヴァっぽいちょっとアブナイ匂い。

狂ったおっさんしか出ないエヴァだけど(笑)

 

 

『パターソン』を光の映画とするなら『プールサイドマン』はその対極にある闇の映画。

 日常に潜む狂気は誰の心にもあるものなのかもしれない。

 

 

とてもおもしろかった。

 この人たちまたKEEと映画つくってくれないかな

 

 

何の説明もない不思議な予告編をみて気にかかって観にいった。

前半のタイクツな日常描写から一転、後半は衝撃の連続だった。

あれは映画だったのかな、映画の形をした現実だったのかな、、今も感情の整理がつかないでいる、、、白黒のプールサイドと、そこに立つ男のシルエットが悪い夢みたいにあたまから離れない、、、

 

 

フランス映画を観てるかのようでした。

日本を意識しながら意識せず観れました。

イメージに溺れていきます。

 

 

まさかのコメディー映画だった。。

 

中盤からの展開がヤバイ

 

よくわからないんだけど妙にクセになる映画

 

つくった人たぶんアタマおかしい

 

そして主演の彼は意外とイケメン(笑)

 

 

 

プールサイドマン。何日か経って思い出すのはモノトーンの写真集を観ているような画像のカッコよさ。

そしてニヤッと笑う内容に続き「そして泥船は…」から定位置に存在するおばあちゃん。

 

 

『七日』と『プールサイドマン』を観て、大田原愚豚舎の作品に俳優として関わりたいと思いました。

オーディションとかやってないかな。。

 

 

武蔵野館でプールサイドマン観る。ルーチンワークのような日常、不穏なBGMとテロのニュース、なにか起きることを期待してしまう。静かに狂っていく若者?混迷の世界情勢?ワンピースへの熱いdis。うーん、おしゃクソ野郎は平和の敵ってことで。パターソンと対比したら面白いかも、なんつって

 

 

武蔵野館でプールサイドマン観る。ルーチンワークのような日常、不穏なBGMとテロのニュース、なにか起きることを期待してしまう。静かに狂っていく若者?混迷の世界情勢?ワンピースへの熱いdis。うーん、おしゃクソ野郎は平和の敵ってことで。パターソンと対比したら面白いかも、なんつって

 

 

前作「七日」の構成やテレビのニュース垂れ流し演出を活かしながらも、もはやお馴染み渡辺節炸裂の和製ミニマリズムおフランス退屈映画(褒め言葉)。今回は前作と違い、渡辺監督本人が途中からうるせーのも面白い。知り合いによると全額6000円で撮った作品らしいが、映画は金じゃないことがわかる。新しい映画を撮るアイデアと、魅せ方がうまいのは才能だ。ただ、ここでも言わせてもらうとおれは現実に疲れ果てたから1週間は1週間でもやはり「パターソン」が観たい

 

 

札幌 クチコミ劇場part4で鑑賞。

 

これはヤバイ!

さすが東京国際映画祭グランプリ受賞作!

今まで味わったことのないクセになる面白さ!

日本映画の新境地!

怖いのに笑える!

車の中のシーンは声を出して笑ってしまった!

 

 

モノクロのインパクトが強烈!プール監視員水原のこれでもかというぐらいの単調な毎日。

同僚白崎の一方的な語り口。これがまた何とも面白い。

 

水原の日常で流れていく世界情勢のニュース、観客のいない映画館で観る映画、何か起きるのではないかと内なる緊張感を高めてくれる。渡辺紘文監督、只者ではない!

 

 

本日は武蔵野館で2度目の『プールサイドマン』物凄いエネルギーが悪い夢のように襲ってくる作品。新宿武蔵野館で明日まで上映しています!劇中のラーメンの話題で帰りに思わず野方ホープへ。

 

 

『プールサイドマン』、形式のところばかり呟いたけれど、物語も衝撃だった。こればっかりは語るのはもったいないが、いやぁ、語りたくなるよね。二日目の描写から、場内がちょっと動揺しだして面白かったけど、いや、ああした結末が待っているとはね、とか、あの二人の描写とその結末とか、語りてええ

  

 

『プールサイドマン』観てきました(^ ^)たたたたりらり〜ら、たたたたりらり〜たら、たたたたりらり〜たら、たらったらったり〜ら♪

『七日』は「その後」の話、今度は「その前」の話かなとは思ってたけどスッゲー良いですね。超御機嫌でニコニコっす。

『プールサイドマン』の公式ホームページにコメントを掲載してる映画監督が、日本のインディペンデント映画のトップランナーばかりで、早く観たいと思う気持ちが高まるばかり。

台詞も含め何割くらいが作った音だろうか『プールサイドマン』、全アタシお待ちかねの無音に燃えました。最後の曲が気に入ってしまい、三拍子取り小声で歌いつつ駅へ。電車乗るまで鼻歌継続ですから。

泥船モード来た!とも思いましたねえ。上映されてたし笑

 

 

気になり帰りにスーパー寄った。フルグラってコレ?パターソンのチョコワより美味しそう。あとカロリーメイトじゃないようにも見える。指まで舐めた菓子はハッピーターンと見た。ほら結局は食い物の話だ。で、マクドナルド行きました。

#プールサイドマン

 

 

ぁぁぁぁぁぁプールサイドマン。。。

 

 

プールサイドマン、何回観ても最高だった!新作もすごく楽しみ

 

 

不穏な空気に無数に考えてしまう感情が観れば観るほどに深いプールにハマりそうです。

プールサイドマン沢山の劇場に観て頂きたい理由が分かりました

 

 

「プールサイドマン」観た。実話に基づく映画らしい。

イデオロギーで戦争を繰り返す世界と誘拐、騒音殺人、賄賂など自己中犯罪だらけの日本。

その間で正確無比なルーティン生活を送りながら世界に惹かれる青年。メジャー映画にない訴えがある

 

 

今宵は『プールサイドマン』鑑賞

あるプール監視員の眠気に襲われる程の退屈な日常に潜む狂気。

自主制作映画だからこその明確な意図を感じさせる手法。

好きな人は好き!ダメな人はダメ!な作品。今日で上映終了だけど、もし機会があればぜひ!

 

 

新宿武蔵野館にて『プールサイドマン』鑑賞。作品個別のテーマと別の話になるかもだけど、モノの存在感は圧倒的だということを地元栃木にいたときに感じていて、映画の無機的な志向性のなかに、なんとなく、そういった感覚を思い起こさせた。『七日』に続き、面白かった。『七日』観ておいてよかった。

『プールサイドマン』、無機的な志向性とか気取って言ってしまったけれど、映画制作のプロセスは有機的なやりとり以外のなにものでもないので、『七日』同様、映っているものから有機的な事柄を想像して観る面白さがある。それにしても主人公の家が凄い。蔦とか車庫とか。

『プールサイドマン』、家だけじゃなく、映画映えする場所のみせ方がカッチリしていて、あのハンバーガーショップのマークがまた凄い。カラーだと出せない雰囲気。実際、ずっとああして灯ってるという事実も不気味。映画で今何をどう見せるのか、ひとつの打ち出し方がハッキリしていて、やはり楽しい。

 

 

凄いぜ大田原愚豚舎!

ヤバイぞ大田原愚豚舎!

監督と話し合いそうだし(笑)

耳もきれいに湧いてるし(笑)

ワングーとすたみな太郎しか記憶にないけど、面白かった!

 

 

今日はほとんど眠っていて、起きてる時間に一昨日観たプールサイドマンという映画のことを考えていた。

一方的によく喋る同僚が、主人公のプール監視員に「友だちでしょ〜」って言ったの、ありがちでうざくて笑った。

すたみな太郎の話あたりなら、主人公が露骨に眉間にしわを寄せてたのも気づいてない。

 

 

水曜サービスデー、今夜の『 プールサイドマン 』

新宿武蔵野館と名前の入った予告編に(『七日』もなんですが)順次公開予定って書いてあったと思うので、評判良ければアチコチ行けるのかなと。期待してます。

 

 

突き刺さる映画でした!今こうしてる間にも世界のどこかで。。。

 

 

この、POOLSIDEMAN

って映画、見に行きたいけど

レイトショーだから、未成年の俺は見れない...

もう、予告編の時点でカッコ良すぎてやばい。本当に見たい。

 

 

新宿武蔵野館で観られるチャンスは金曜日まで!

邦画不作年に放たれたホームラン作品。

これは必見ですよ。

 

 

プールサイドマンという映画を観た

色褪せた現実、繰り返される日常、言葉を発しない主人公

単調、沈黙、退屈、忍耐、狂気、ルーティン、生きるとは何か

落とし所はない、報われもしない、劇的な変化もない、何も始まらないし終わらない、ただ日々は続いていく

自分の姿をそこに観たような気がした

 

 

『七日』の半券を持って2度目の『プールサイドマン』。気になる所よく聞き、ジ〜ッと見る。ボイラー室の音が彼のテーマ曲に思えてきた。エンドロール最後の協力3つ覚えるはずが、また曲に持ってかれて温水プールだけ確認。そんな私はアラレちゃん世代。

 

 

『プールサイドマン』観て、大田原愚豚舎3作品で最高だと思った。でも日が経ち『七日』の事ばかり考えて。お婆ちゃんが、これ食べな「おいしいよ」って。何も言うことができない、あの雰囲気。冬の旅、菩提樹。牛飼い。

これ見て自分の考えハッキリした。

だからまぁ『プールサイドマン』観て、お婆ちゃんも牛も居たので、フィクションなんだけど芝居なんだけど「無事だったんだね」って。こんなとこで和んじゃってどうする!っていう楽しさは愚豚舎作品あるあるになって行くんでしょうかね。

 

 

新宿武蔵野館にて渡辺紘文監督作品「プールサイドマン 」鑑賞。刺激的で面白い作品。前半はニヤニヤしっぱなし。後半同僚が登場してからはとてつもなく恐怖を感じるのにとても面白い。そしてラストシーンは今でも脳裏に鮮明に。そんなオレはドラゴンボール世代。もぉ“あの顔”がたまらなくツボ(笑)

 

 

最近見た映画で良かったのは「パターソン」「不思議惑星キンザザ」「ダンサーセルゲイポルーニン」「プールサイドマン」です。キンザザとプールサイドマンは特に衝撃的でした。

 

 

『プールサイドマン』うーん。。。言いたいことは頭の中に渦巻いているのに、全く巧くまとまらない。この感覚は久々だ。

 

 

プールサイドマン

海外作品のような雰囲気がしました。「これをやりたい」って強い意思を感じて、他の作品も観たくなりました。

今朝の浅い眠りにモノクロのプールサイドが夢に出てきました。うう、怖かった...

 

 

新宿武蔵野館で「プールサイドマン」観てきました!

同じく渡辺監督作品の「七日」とあの様な繋がりになるとは…

人という滑稽なほど面白い生態が露わになっている作品です。

 

 

ここは何処でしょう。

答え:新宿武蔵野館。映画館です。

やっと!やーっと!!

「プールサイドマン」を見る

ことが出来ました。

事前情報で監督演じる男の

面白おかしい?鬱陶しい?怒濤の言葉責め(笑)が話題に上がっていたので楽しみにしていました。

あー、うん。

私だったら裏拳かますね。

ハンドル握ったまま( ̄∇ ̄)

ドラゴンボールは天下一武道界世代で、悟空が死んだときはそりゃもうビックリしたなぁ。

ピッコロとかベジータが味方になるなんて思いもしなかったし。

……あれ?何の話してるんだ?(^◇^;)

栃木からプールサイドマンを見にいかれる方。

東武線で栃木市までお戻り予定の場合は再度時間の確認を。

(……無理でした)

JRなら宇都宮駅まで戻れます。

埼京線で赤羽乗り換えもよし。

湘南新宿ラインなら大宮乗り換えです。

上映後は速やかにB1より新宿駅構内へ。

ギリギリ感200%!

 

 

一昨日、新宿武蔵野館で『プールサイドマン』を観てきました

観れば観るほど、噛めば噛むほど、美味しく面白い映画です

上映は13日まで宇都宮方面の方は、終電乗り換え注意先週、うちの劇団員が、観に行った帰り...気がついたら籠原で...お泊まり(╹◡╹)ぷぷっ

 

 

地元のヒカリ座でもわんちゃん上映して下さい!偉い人!

 

 

「プールサイドマン」でも送電塔の群れ、使われてたわ。

なんだか北関東の原風景、という風にも見えるな。

 

 

「プールサイドマン」すごい観たいのに東京でしかやってない

さすがに映画のためだけに東京行くのもなぁ

 

 

ヤバイ映画を観てしまった。

これはヤバ過ぎる。

今年1番のヤバさ。

ヤバイっていうか、ヤバイし、

ヤバイぐらい、マジでヤバイ。

ヤバイ以外の言葉で言うと、

Yabai。

ヤバイし、ヤバくないわけがないぐらいヤバイ。

観たら、分かる。

これはヤバイ。

まとめると、ヤバイ映画だった。

 

 

「プールサイドマン」鑑賞@新宿武蔵野館。去年のTIFF 日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞した渡辺紘文監督作。ポスターのビジュアル以外は何の予備知識もなしで観たのですが、とくに前半の、これで映画になるのか、という構成と画が面白い。

「プールサイドマン」、全編モノクロ。冒頭からなかなか人物の顔が見えない。顔が見えたと思ったら、暗かったり、引きであったりして表情がわからない。そして表情がわかったと思ったら感情がなく、何も話さない。

「プールサイドマン」、この何も話さない人物とまわりの人たちはどうコミュニケーションを取るのか、と思っていたらまさに後半はそういう展開になっていく。この男が聴いているラジオと、不穏なピアノ曲からくるサスペンス。観たことないタイプの映画だった。

日々の繰り返しで語る「パターソン」と「プールサイドマン」。ここまで違う印象になるとは。

 

 

毅然と聡明でいてリキまず諦めない女達の話は元気百倍『ドリーム』。余りに静かなリズムでちょい寝したせいか、どう美しく描いても所詮肉欲話にしか見えず『ポルト』。余りに奇異で下品な話、なのにグッと来る『スイス・アーミー・マン』。ずっとこの作風?お婆ちゃんお久しぶり『プールサイドマン』。

 

 

プールサイドマンが、本当にヤバすぎて、あと100回観たい。

衝撃で言うと、

橋本環奈を超えた。

 

 

久々に割と訳わからん映画に出会いましたが、後からじわじわきてます。笑

 

 

『プールサイドマン』映画館で観ないと意味のない映画すぎてもうみんな映画館行ってくれ〜〜という感じ とりあえず今黙々とマックを食べたいのに近場でやってる店がなくて泣いてる

 

 

「プールサイドマン」前作「七日」同様、主人公は一切喋らない。日常を淡々と描く手法も近い。もちろん白黒。情報量を絞ることで音への集中力が増し、音と表情だけでモノローグレベルまで感じられる。不要な劇伴が溢れる映画が多い中、貴重な体験が出来る映画。オススメです。

「プールサイドマン」朝起きる、出勤、仕事、帰宅途中一人で映画館が一番の楽しみ、一人で外食、帰宅後ネットサーフィン、妄想、以下ループ・・・な主人公。この行動パターン見覚えあるぞ。現代日本人の歪を実は一身に背負っていたんだな、俺。不正と書いて歪。でも、正しくないなりに頑張ってるだぜ。

 

 

『プールサイドマン』行ってきた。

中盤から予感がしていたけど、後半から終盤にかけてガツンとくる感じで面白かった。

更衣室のロッカーを両手で開け閉めする音が印象に残る映画。

 

 

「プールサイドマン」

面白かったです。どんな人が観ても、絶対に何かを持ち帰れる作品だと思いました。

「七日」

も、先日鑑賞しました。なので水原さんの同僚のお家があそこでふふふってなりました

 

 

去年のTIFF以来ずっと観たかった『プールサイドマン』をようやく。静かな暴力性、ハードコア。主役の今村樂さんの佇まい、鋭い眼光。対照的な、監督自ら演じる同僚のマシンガントーク…。乾いた笑いも印象的でした。僕ら「ONE PIECE」世代は観に行って、打ちのめされたほうが良いです。

 

 

『プールサイドマン』を鑑賞。主人公は一言も喋らないが、これほどまでに音が重要な作品はない。世界は不気味なほどに雄弁で、それを狂気と呼ぶ向きもあるだろう。ミニマリズム(差異と反復)や地方の景色(モータリゼーション)がまた現実を歪ませる。ラストの祝祭は痛烈なアイロニーと見るべきだ。

僕も渡辺監督と同じ北関東出身なので、車窓を繰り返し流れる看板(ベイシアだったり、WonderGOOだったり)の与える意味が痛いほどによくわかる。そしてそんな地方に住む若者の思考や行動が自ずとどうなってゆくか、監督自身が演じる役柄が実によく体現していた。名演。

 

 


Contemporary, low-cost, independent production from the Land of the Rising Sun actively struggles with a difficulty that has been plaguing it long-term – a certain isolation, a lack of communication with analogous tendencies in film culture happening in the rest of the world. Hirobumi Watanabe, one of Japan’s most exciting young filmmakers, is succeeding through style and in his manner of developing a story. His third film presents pool man Yusuke Mizuhara, a loner of few words whose monotonous life plays out in a suburb north of Tokyo between home and a nearly-deserted pool. His stoic expression knows no variance, not even under the deluge of words streaming from his somewhat overbearing coworker Koji. What’s behind the impenetrable façade worn by a young man confronted daily by reports of the tragedies besetting different parts of the world? A formally ambitious, geometrically precise film about certain unexplained thought processes associated with the Japanese mentality.


‘Poolsideman’: Bringing life to the mundane

 

In his three films to date, Hirobumi Watanabe has created a unique cinematic world. “And the Mud Ship Sails Away” (2013), “7 Days” (2015) and now “Poolsideman” (2016) were all shot in black-and-white in Watanabe’s native Tochigi Prefecture, with music by younger brother Yuji and cinematography by Woohyun Bang. All focus on socially marginalized men with lives that range from the aimless to the mundane. And all are tinged with black humor that keeps the proceedings from becoming too brain-numbingly minimalistic.

Echoes of other filmmakers can be heard, notably Jim Jarmusch and Bela Tarr, but Watanabe marches to his own drum, as Yuji’s soundtrack provides counterpoint with everything from classical war horses to sinister electronic noise, while becoming more intense — not intrusive — as the story progresses. Bang’s tightly composed images, at once gorgeous and stark, add another layer of commentary.

This sort of thing is not for everyone: “Poolsideman” won the Japanese Cinema Splash award at last year’s Tokyo International Film Festival, but divided critics and fans. I was one of its champions and not only because, like its hero and director, I put in my own time (two summers) as a pool lifeguard.

In its first half the film tests audience patience as a long-limbed, long-haired, long-faced guy named Yusuke Mizuhara (long-time Watanabe friend Gaku Imamura) goes about his rigid daily routine, beginning with a door-banging locker inspection at the pool and concluding after work with a meal at McDonald’s, a movie at a local theater and a session with his home PC, none of which we are allowed to see plain and clear. Mizuhara never utters a word to anyone, though he always has his car radio tuned to news about the latest ISIS terrorist outrage or Syrian war atrocity.

There is a truth to this sequence, repeated again and again, that films seldom explore — life for many consists of daily rounds as predictable as the sunrise. Watanabe turns his hero’s own round into spare visual poetry that illuminates his unquiet inner life.

But tedium has begun to set in when Watanabe himself makes an appearance as Mizuhara’s loquacious colleague Shirasaki, who hitches daily rides to work after they are both temporarily transferred to another pool. Sitting in the passenger’s seat, Shirasaki opines on the generational divide between “Dragon Ball” and “One Piece” fans, the trite chatter of his pool colleagues, his memorable teenage encounter with a punk in a game parlor, and anything else that pops into his head. These monologues, scripted by Watanabe himself, are funny enough to suggest a fallback career as a comic. They also reveal Shirasaki’s own disconnect from reality as he expatiates on the “friendship” between himself and the anti-social Mizuhara.

Meanwhile, we witness the bizarre result of Mizuhara’s obsession with news from the Middle East, as nightmarish montages of war, famine and overpopulation flash on the screen. And yet the film has no obvious message, save perhaps that the craziness of the world can now infect an isolated soul in a backwater where nothing happens. And that the solution is not more “communication,” since an overload of information has already pushed Mizuhara to the edge.

I suggest swimming laps to reduce the stress and work off the Big Macs. For the rest of us? Try the patience-testing, entertaining and disturbing “Poolsideman.”


Watanabe's third feature film is a very peculiar production, featuring a silent protagonist but constant talking, black and white cinematography, and a repetition that seems to be more meaningful than ever. 

 

Yusuke Mizuhara works as a lifeguard at a swimming pool, situated in a rather quiet suburb of Tokyo. He is a loner, and his life is dominated by an unwavering routine, that begins the moment he wakes up in his house, continues at the swimming pool and at a cinema after work, and finishes in his house again. Even the smallest details are dictated from this routine, as the time and the place he spends his break, for example. Apart from watching a movie each day, his only entertainment is listening to the news from his car radio and reading about them on his computer. However, the news he listens to, always deal with terrorist acts, war, and violent incidents in general, from all around the world. Eventually, he is temporally relocated to another pool along with Koji Shirasaki, a colleague he has to drive to work with his car, and who never seems to stop talking.

 

Watanabe directs a film that deals with the concept of routine and the way it can enslave man, as it transforms him into a robot that only lives to follow it, to the point that he becomes completely anti-social. Furthermore, through the concept of the news, Watanabe makes a point of how horrible the world we live in is, but at the same time shows how all these awful events end up being nothing but sounds one listens to, in order to pass his time, with a passivity that, in the end, makes him function like a zombie. Furthermore, he seems to say that this, unfortunately, is the concept of the modern Japanese man, who only cares about his job, to the point that he neglects everything else around him. Lastly, this may be a critique for Japan, who, through the agreement with the US regarding the inaction of its army, remains a spectator in what is happening in the world now.

 

The pace is rather slow and rather repetitive, but Yuji Watanabe's tense music, occasionally gives the sense that something very bad is going to happen, although, in the end, this is just a misconception. The presence of Shirasaki on the other hand, provides a distraction to the routine of the film, as he is rather talkative, although also a social pariah. The moment where he tries to explain the generation gap through the differences of "Dragonball" (the manga/ anime their generation dealt with) and "One Piece" (the one of the current generation) is the most funny scene in the whole film, along with the one he states that he is not actually talkative. His presence, however, becomes tedious after some time, particularly for Yusuke, although he does not convey it physically, at any point. 

Woohyun Bang's black-and-white cinematography suits the "colorless" world Yusuke lives in, perfectly, as his attention to detail mirrors Yusuke's attention to his routine. The shots where he stands above the swimming pool are very beautiful, while the various images presented during the end of the film have an ominous meaningfulness, regarding humans, who do not seem to be so different from animals, particularly fish. Hirobumi Watanabe's own editing retains the slow and repetitive pace of the film, without any kind of exaltations, apart from the aforementioned scene. 

 

Gaku Imamura, in his debut, gives a silent and naturalistic performance that highlights his character's indifference on everything that goes on around him. Some close ups on his face show his irritation, particularly during the time he spends with Shirasaki, but even these feelings, never actually reach the surface, leaving a question for if he actually feels anything. His eyes, however, are rather terrifying at moments, leaving me with a wish to see him in a role of a serial killer, eventually. Hirobumi Watanabe himself as Koji Shirasaki has a rather difficult role that has him speak non-stop for quite some time, and he delivers in wonderful fashion. 

 

Evidently, "Poolside Man" demands patience from its audience, through its slow pace, lack of dialogue and any kind of action, and repetitiveness. The fact, however, that Watanabe manages to present so many comments and thoughts in such a laconic setting, makes the film a must-watch, particularly for fans of art-house films.


Continuing in the beautiful black and white cinematography that I believe Watanabe will do the entirety of his career with, which I am okay with 100 percent, Poolsideman blends the slow moving, observational elements of 7 Days and injects it with the black humor of And the Mudship Sails Away..., creating a film that seems to work to the strengths of the filmmaker, and is his best work thus far in my mind, though I put 7 Days right alongside it. Let me explain...

 

Gaku Imamura makes his acting debut as a man working at an inside pool building, in a city north of Tokyo, that seems to avoid all the chaos plaguing the rest of the world. This poolside man, spends every day working here, going through his very set routine, bored out of his mind, slowly crawling through the days. The film really makes a point of showing just how tedious and dull his daily life is. 7 Days uses this same method of the mundane to showcase the realness of life and captures time in the same way that someone like Tsai Ming-liang (Stray Dogs) does so well. It is absolutely slow, yet visually captivating and ultimately rewarding. Here, we really feel for the man's turtle-paced life, desperately wanting to see him break out and move on to better things, but he, like many others, is completely trapped in his own world, though he seems to be completely unaware of how easy it would be to just... leave.

 

The film gets a lot deeper than that, when we see that he never talks to his very, very chatty coworkers who speak a million words a minute on their breaks. He just sits there, like a bump on a log, antisocial, and even though they are at the same small table, somehow, he feels miles away from the company surrounding him. I don't want to delve to deeply on this, as really there isn't much to the film, in terms of things that happen. Again, the days are repeated, with subtle variations on the same repetitions. Another plot point, which I can focus on, is that one fine day another poolside man comes to our bored lead's place of employment, and he is played very hilariously by the director himself, Hirobumi Watanabe (7 Days).

 

I believe the most memorable parts of Poolsideman are when the two are chatting in their commutes to and from work. Our lead drives, saying nothing as usual, and occasionally lighting up a cigarette, while Hirobumi's character rattles random thoughts off the top of his head, and he is a big manga and anime nerd, providing some of the funniest monologues I've ever heard, including one where he says it is impossible to communicate with younger people, especially One Piece fans. I can't remember the dialogue to a tee, but it was absolutely hilarious. Still, the main character never once speaks.

 

The choice of no dialogue here has its purpose, though the reasoning here versus Watanabe's previous work, are for two totally different reasons. There is something bubbling under the surface, though what, I don't want to spoil. The character soaks himself in the most awful and disturbing news of the war and terror that is surrounding the world as we speak. It echoes and takes these real moments happening around us in real life, and throws them at you repeatedly throughout here, and is a sad reminder of just how dark our existence as a species is becoming. Again, I don't want to ruin anything, but the final act, and the last scene are really something powerful and will stick with you long after the credits roll.

 

Poolsideman started up, and I really thought it was just going to be a rehashed 7 Days, just at a pool building setting versus a farm life setting, but as it goes on it morphs into something totally different, and in ways a lot deeper. It is sort of blatant in its political showcasing, but it doesn't really take sides. I mean that the hero has his beliefs, though they are sort of open-ended to an extent, but it just chillingly provides a large barrage of vileness that people seem to have become desensitized to. It's sad, but a reality. This film ended up being far more interesting that I thought it would be, and is a total unseen gem. Such a shame that his works, aside from his debut, are practically nonexistent outside of Japan. Hoping some brave indie label comes along and snatches up Watanabe's works. He really needs to be known, and here's to hoping that just that very thing happens one day.