■大田原愚豚舎特集記事 栄光のフィルム(毎日新聞)


2017年3月14日より、毎日新聞朝刊栃木面に5回に渡って連載された大田原愚豚舎の特集記事【栄光のフィルム】をご紹介いたします。

 

大田原愚豚舎 渡辺紘文・渡辺雄司兄弟の子供時代のことから、日本映画学校卒業制作作品『八月の軽い豚』、大田原愚豚舎作品『そして泥船はゆく』『七日』そして最新作『プールサイドマン』までを辿る記事となっています。皆様、ぜひご一読下さい。

 

記事の掲載を決断してくださいました毎日新聞様、そしてご丁寧な取材を重ねて下さいました加藤佑輔様、ありがとうございました。


【栄光のフィルム/1 兄弟で快挙 東京国際映画祭で夢実現 /栃木】

 

その日は朝から、東京都内の飲食店でステーキを頬張った。「受賞は無理だろう。せめて好きなものでも食べてから帰ろう」。映画監督の渡辺紘文さん(34)=大田原市出身=は、数時間後に訪れる歓喜の瞬間を、想像すらしていなかった。

昨年11月3日。世界各国の優れた作品が集まるアジア最大級の映画祭「東京国際映画祭」の授賞式が、東京都内で開かれた。渡辺さんは自主製作映画などを集めた「日本映画スプラッシュ部門」に最新作「プールサイドマン」を出品。3作品連続の挑戦で、自分なりの手応えはあった。ただ、他の作品の完成度の高さを目にし、自然と他の誰かが受賞すると考えていた。

午後2時。授賞式が始まった。両親とスタッフら6人で発表を待った。ステージ上では司会者がマイクの前へ。「受賞者は……」。無理だと思いつつも、心臓が跳ね上がるように高鳴った。「プールサイドマン! おめでとう!」。耳を疑った。直後にわき起こった割れんばかりの拍手の中、音楽監督を務めた弟の雄司さん(31)と一緒にステージへと向かった。幼い頃からの兄弟の夢が形になった。

 

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渡辺兄弟の「製作」の始まりは、小学校時代までさかのぼる。

「こんな怪獣を倒したら、海のきれいな港町へ行こう」

「その場面にはこんな音楽が合うんじゃないか」

渡辺さんがふと思い付いた物語に、雄司さんが即興でメロディーを口ずさむ。2人の頭の中で、オリジナルの冒険活劇が日々生み出されていった。雄司さんは「兄弟で楽しんでいたテレビゲームの影響で、そんな遊びをしていました。今思うと映画製作に近い作業をしていましたね」と懐かしそうに語った。

自宅の棚には父秀樹さん(63)の趣味で、黒澤明、山田洋次など日本を代表する映画監督の名作がズラリ。渡辺家にとって家族で映画を見ることは、毎日の食事くらい自然なことだった。「自分が想像した物語に雄司の音楽を合わせたら、きっと良い映画になるのに」。そんな思いを募らせた渡辺さんは大学卒業後、日本映画学校の脚本演出コースへ進んだ。

在学中、大きな転機が訪れた。学校からの紹介で原爆投下後の広島市を舞台にした映画「夕凪の街 桜の国」(2007年、佐々部清監督)の撮影現場に1カ月間、参加することになった。

撮影は、午前7時スタート。全ての作業が終了するのは翌日の午前3時だった。スタッフや出演者の食事の手配、現場の後片付けなど雑務を担った渡辺さん。毎日倒れるように眠った。それでも、映画の完成を目指してプロのスタッフらと一丸になって取り組む日々には、過酷さを上回る充実感があった。

撮影が終わり、ホテルに戻ってから寝入るまでのつかの間のひととき。「早くお前も面白い映画を作るんだ」。自らに語りかけるように、毎日そうつぶやいていた。

 

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第29回東京国際映画祭で作品賞に輝いた渡辺さんは、テロという社会的なテーマと向き合い、審査員から「日本の外へと最も接続していた」と評価された。「栄光のフィルム」が完成するまでの軌跡を追った。

 

【加藤佑輔】=つづく

 

■人物略歴

渡辺紘文 わたなべ・ひろぶみ

1982年、大田原市出身。大学卒業後、日本映画学校(現日本映画大学)に入学した。

2008年、卒業製作作品「八月の軽い豚」が第9回フジフィルムラヴァーズフェスタでグランプリを受賞。13年には映画製作集団「大田原愚豚舎」を設立した。

「そして泥船はゆく」(13年)、「七日」(15年)、「プールサイドマン」(16年)の3作品を東京国際映画祭の「日本映画スプラッシュ部門」に出品した。


【栄光のフィルム/2 卒業製作の脚本27回書き直し 特訓が磨いた「表現」/栃木】

 

自宅に山積みにされた原稿用紙には、大きな×印が付けられていた。

10年前、当時学生だった映画監督の渡辺紘文さん(34)=大田原市出身=は、日本映画学校(現日本映画大学)の卒業製作作品の脚本執筆に追われていた。指導したのは、同校の講師だった映画監督の天願(てんがん)大介さん。「会話のリズムが悪い」「役者の言葉で状況を説明し過ぎだ」。厳しい言葉の後、提出した数十枚の原稿用紙に次々とボールペンで×印が付けられていった。

天願さんに脚本を却下される度に、頭から書き直した。自信作を頭ごなしに否定され、怒りが湧くこともあった。だが、何度も脚本と向き合ううちに、登場人物の履歴書を脳内で書けるくらい詳細な人物像が浮かび上がるようになった。せりふの無駄な言葉がそぎ落とされ、情景描写にリズムが生まれた。

「よし、この話で撮ろう」。天願さんからゴーサインが出たのは、28稿目。初稿から4カ月が過ぎていた。北関東の農村の養豚場で起きた事件を描いた作品は「八月の軽い豚」と名付けられた。

渡辺さんは監督・脚本を務めたこの作品を、新進気鋭の映像作家の作品を集めた「フィルムラバーズフェスタ」に出品。ストーリーが高く評価され、グランプリを受賞した。「当時は(天願さんを)何て厳しい人だろうと思っていました。でも、今の脚本技術の基礎はあの特訓で培われました」

その後、舞台の脚本・演出の仕事やアルバイトで製作費をため、一人の男の生きざまを描いた喜劇「そして泥船はゆく」(2013年)を完成させた。音楽監督には弟の雄司さん(31)を起用し、念願の兄弟での共同製作が実現した。

この作品は、渡辺さんの運命を大きく変えることになった。

13年10月、アジア最大級の映画祭「第26回東京国際映画祭」に出品されると、世界中の映画祭関係者がこの作品に注目するようになった。英国の「レインダンス映画祭」やドイツの「ニッポン・コネクション」など計6カ国の海外映画祭に出品され、一気に知名度が高まった。各国の映画館では、大声で笑う観客の姿があった。自分の感性が、海を越えて受け入れられたと実感した。

手応えを感じた渡辺さんは、さらに独自の世界観を貫こうと「七日」(15年)の撮影に着手した。北関東の農村を舞台に、祖母と2人で暮らす男の7日間の生活を描いた作品だ。出演は渡辺さんと祖母の平山ミサオさん(99)の2人のみ。全編モノクロで、せりふを一切排した実験作だった。

「七日」は大きく評価の分かれる作品となった。第28回東京国際映画祭の会場では、上映中に途中退席する観客の姿も。物語上の大きな山場はなく、淡々と生活を描く独特の表現を好まない人が多かったのも事実だった。

前作の称賛から一転、独自の世界観で厳しい評価が下された。

だが、次作「プールサイドマン」(16年)で選んだ道は、さらに「誰にもまねできない映画表現」を追求することだった。

 

【加藤佑輔】=つづく


【栄光のフィルム/3 自主製作で独自の世界観追求 「テロと日本人」を描く /栃木】

 

新作映画の構想を練っていた渡辺紘文監督(34)=大田原市出身=は昨年、自問自答を続けた。

独自の世界観で描いた前作「七日」(2015年)に厳しい評価が下されたからだ。導き出された答えは、「自主製作映画」でしか表現できない世界を追求することだった。

商業映画には、大手のスポンサーや広告代理店との利害関係があり、センセーショナルなテーマを取り上げにくいという「不自由さ」があると感じた。商業映画では表現できないことを突き詰める。それが自主製作という自由なフィールドに身を置く自身に課せられた使命だと考えた。

目に留まったのは、海外の社会情勢だった。メディアは連日、テロの脅威やテロ組織に対する各国の掃討作戦を報じていた。「そういえば、『テロと日本人の関係』を描いた作品を劇場で見たことがないな」。新たな方向性が見えてきた。

 「映画とは自由に作るものだ」

以前在籍していた日本映画学校(現日本映画大学)の講師で、師と仰ぐ天願(てんがん)大介監督の口癖だった。この言葉に影響を受けた渡辺さんは、伝えたいことを自由に表現し、楽しんできた。そんな原点に立ち返った。

テロをテーマにした「プールサイドマン」という新作は、北関東郊外の小さな町でプールの監視員として働く男が主人公。友人も恋人もいない孤独で単調な生活を繰り返す男が起こしてしまった事件を描いている。

渡辺さんが脚本を執筆する過程で徹底的にこだわるのが、人物設定だ。過去の経歴、趣味、平日と休日の生活パターンなど、登場人物一人一人に細かく設定する。

ほとんどの設定は、映画の中で直接的に描かれることはない。だが、「設定を作りこむことは、役者が演じる人物を深く理解できるかどうかに関わってくる」という。

映画では、渡辺さんの友人で、俳優初挑戦の今村楽(がく)さん(34)が主人公の男を演じた。「詳細な人物設定を聞いていたので、スッと役柄に入れました」と今村さん。一方で、「『イメージしたままに演じてくれ』と言われ、自分が思う男の表情や動き方を自由にやらせてもらいました」とも話し、個々の感性も尊重してもらえたという。

渡辺さんが演技未経験の今村さんを起用した狙いは、自らの想像を超えることにあった。「安定した演技を見せるプロに対して、素人には製作側が思いもよらない表現を見せる瞬間がある。それを作品に落とし込みたかった」

狙いは当たった。映画はストーリーとともに、今村さんが演じた男の不気味な存在感が評価された。そして、東京国際映画祭に3度目の出品をすることになった。

 

【加藤佑輔】=つづく


【栄光のフィルム/4 観客を一気に引き込む力 弟の「音楽」必要不可欠 /栃木】

 

大田原市を拠点に活動する映画監督、渡辺紘文さん(34)の作品では、劇中の音楽が存在感を放っている。

登場人物の喜びや悲しみに共鳴するように流れる音楽は、見る者をさらに映像の世界へと引き込む力がある。手掛けたのは、弟の雄司さん(31)だ。渡辺さんの作品の映画音楽は、すべて雄司さんが担っている。

雄司さんは元々、ピアニストの道を志していた。5歳の頃からピアノを始め、中学生の時にベートーベンの「月光」に感銘を受けた。プロを目指し、日夜練習に明け暮れた。

さらに技術を磨こうと武蔵野音大に入学したが、待っていたのは厳しい現実だった。「自分よりはるかに技術が高い学生ばかり。演奏者としてのプロ活動は到底無理だと思い知らされました」

ピアニストとは別の形での音楽活動を模索していた時、渡辺さんから映画「八月の軽い豚」(2008年)の音楽の仕事を頼まれた。映画音楽は初挑戦だったが、新たなチャンスと引き受けた。

ただ、初めは渡辺さんの求める世界観とズレがあった。「もっと恐怖感を伝えたい」「喜びがはじけるような雰囲気を出してほしい」。要求に応えられず、楽曲づくりは思うように進まなかった。

試行錯誤を重ねていた雄司さんの音楽作りが大きく変化したのは、28歳の頃だ。映画に合うクラシック音楽を作曲したものの、実際に交響楽団に演奏してもらうには、予算をはるかに上回る出演料がかかる。イメージを形にできないもどかしさを感じていた時、パソコンと電子楽器で作曲するデスクトップミュージック(DTM)の存在を知った。

DTMは、弦楽器や管楽器などコンピューター上に保存された音色のデータを重ね合わせることで、まるで合奏しているように聴こえる楽曲の製作が可能となる。「一人でここまでの音楽製作が可能なのか」と驚いた。ジャズ、クラシック、和楽器を使った日本音楽などさまざまなジャンルに挑戦した。

その結果、これまでに約40曲の劇中音楽を製作。今では渡辺さんも「映画の世界観を表現する上で雄司の音楽は必要不可欠」と全幅の信頼を置く。特に映画「プールサイドマン」(16年)の冒頭で流れるパイプオルガンを使った楽曲は、「主人公の男の緊迫した心情に客席が一気に引き込まれる」と高い評価を得ている。

 

     ◇

 

今月上旬、大田原市内の雄司さんの事務所に、ピアノの優雅な調べが響いた。「少し違うな」。譜面のメロディーやリズムが少しずつ修正されていく。新作に取り組む渡辺さんを、新たな音楽を生み出し、サポートし続けている。

 

【加藤佑輔】=つづく


【栄光のフィルム/5 両親がスタッフ、感謝の涙 信念貫き、次なる挑戦へ /栃木】

 

あの日、人生で初めてうれし泣きした。

昨年11月3日、東京都内で開かれた第29回東京国際映画祭の授賞式。

映画監督の渡辺紘文さん(34)=大田原市=は、まばゆいばかりのカメラのフラッシュ、歓声に包まれていた。

自主製作映画を集めた「日本映画スプラッシュ部門」で、渡辺さんが監督を務めた「プールサイドマン」は作品賞に輝き、弟の雄司さん(31)と一緒にステージに向かった。

トロフィーを受け取って客席を見ると、そこには満面の笑みを浮かべた父秀樹さん(63)と母あけみさん(61)の姿があった。低予算で製作し、他人を雇う余裕は無かった。そこで両親が機材の搬入や搬出、役者への食事の準備などをスタッフとして手伝った。両親の協力が無ければ、プールサイドマンを完成させることはできなかった。

2人の笑顔が見えた時、こらえきれず涙がこぼれた。同時に、自分の成長を信じ、3作連続で出品をさせてくれた映画祭関係者への感謝の思いがあふれ出した。

マイクの前に立った渡辺さんは「僕を育ててくれたのはこの映画祭。今年は誰の目から見ても激戦で、自分が賞をいただけるとは思っていませんでした。感謝しかありません」と喜びを語った。

 

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プールサイドマンは、映像の作り方にひそかな挑戦心が込められていた。

それは、前回の東京国際映画祭に出品した「七日」(2015年)で用いた映像表現だった。大きな山場がなく、淡々と生活が繰り返される描写は、一部の観客から不評を買い、上映中に退席する観客もいた。

プールサイドマンでは物語の序盤で、主人公の男の一日の生活が繰り返される「七日」と同じ表現がなされている。

渡辺さんは「映像の編集段階で、『また(内容を)たたかれるな』とか『帰ってしまう人がいるのでは』という考えが頭をよぎりました。ですが、お客さんの顔色を見て本当にやりたい表現から逃げてしまうことはしたくなかった」と振り返る。

今作では序盤の男の平穏な生活と、終盤で事件を起こすまでのスピーディーな展開の対比が評価された。この経験で、「世間の評価に惑わされず、表現を突き詰める大切さを知った」という。

 

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大田原市の事務所で今月中旬、渡辺さんはスタッフらに新作の物語を説明していた。「本当の意味で試されるのは次の作品です。力を合わせて良い映画を撮りましょう」。最新作の撮影開始は4月の予定。次なる「栄光のフィルム」への挑戦が始まる。

 

【加藤佑輔】=おわり